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利賀演劇人コンクール2018レポート⑩沖縄の演出家 福永さんインタビュー3/3 沖縄での小劇場運営


 福永武史さんインタビュー最終回では、福永さんが今後沖縄でやりたいこと、そして、福永さんが運営する那覇市の小劇場「わが街の小劇場」についてお届けする。自身のための場づくりとして始めた劇場運営が、思いがけず自身や地域の演劇人にもたらした変化とはなんだったのだろうか。



福永さん(わが街の小劇場)
福永さん(わが街の小劇場)

 

ツアーよりも、沖縄のいろんな人たちと出会って創作できれば


ーー今回初めて沖縄から出て上演されましたが、沖縄以外で公演したいっていう思いはありますか?

福永:そうですね。なんか単純に僕ら自分たちがやってることを、ツアーでいろんな人に見てもらいたいっていうのはあんまりないので、 もう一度自分たちの箱を見つめるっていうことと、そういうことがあるんであれば、単純なブラックボックスじゃなくって、今回みたいな感じで全く別次元の空間ていうものにチャレンジするっていうのは、一つ冒険かなあっていう風には思ってますが。これから先の見通しで言うと、一歩一歩きちんと作っていくことだけかなという気がします。むしろ僕やりたいのは沖縄でもうちょっといろんな人たち、簡単に言うと演劇やってなくてもいいんですけど、子どもたちとかお年寄りたちとかそういう人たちと出会って創作できればなんかすごくいいのかなと思ってますね。

ーー長くやってらっしゃる上で、そういう機会はまだ?

福永:ないんですよね。

ーーよく劇団がワークショップをしてたりしますが?

福永:僕ワークショップとか全然できないので。何一つ勉強して来なかったので。教えるとか、みんなで一緒に何かとかそういうのはなんかあんまり僕には向かないので。


 

「わが街の小劇場」は那覇市の観光と併せて楽しめる劇場


ーー劇場運営って大変ですか?

福永:もうね、これひどいですよ。※全保連さんにお世話になってます。全保連さんわかります?

※全保連・・・全保連株式会社。家賃保証・賃貸保証会社。東京と沖縄に本社がある。

ーーわかりません。

福永:家賃滞納したら全保連ていう会社に言ってそこが肩代わりしてくれるんです。利息として1000円か2000円取ってくんですけど、儲かってると思います。沖縄では。沖縄の会社ではないらしいんですけど。

ーー全保連って名前ですもんね。

福永:やっとこさ家賃捻出して回してますけど。でも、なんかそういうのも含めてみんなが愛してくれてるんで。

ーー那覇市の中心部ですか?

福永:松尾という住所で、国際通りの裏手になるんですけど。中心部からは少し離れてますけど。

ーー交通の便はいいですか?

福永:便で言うと、ちょっとあれですけど、※国際通りから入って歩いて15分くらいのとこですね。


国際通り・・・那覇市中心部にあるお土産屋や飲食店の並ぶ商店街。

ーー例えばですけど、旅行で沖縄に行った人もふらっと見に行けるようなエリアですか?利賀村は富山に観光行くついでにふらっとというのが難しいエリアですけど。

福永:それは全然ないです。

ーーそうなると、ちょっと沖縄の劇団見てみたいなって思った本州や九州の人が、那覇に行って観光を含めて見たりできるような場所ですね。


福永:全然できます。なんとなく国際通り近辺ふらっと観光しながら歩いてもらえる場所です。


ーー富山だと車で移動する人が多いので、やっぱりそういう交通の便が大事で。駐車場がないといけないとか 。


福永:それはうちの劇場も一緒ですよ。抱えてる駐車場もないので。近くのコインパーキングに止めて。


ーー車の方はそうなるんですね。


わが町の小劇場正面(わが街の小劇場Facebookページより)
わが町の小劇場正面(わが街の小劇場Facebookページより)


 

劇場運営によって僕自身が変わったし、沖縄の状況も変わった


ーー劇場は箱貸ししたりされるのでしょうか?


福永:やってはいますけど、僕らは基本的に自分たちで創作するっていうのを月1本やってるので。基本はそのスタンスを取ってますね。貸さないっていうことはもちろんないんですけど。


ーー那覇市っていうのは劇団がたくさんがあるんですか?


福永:那覇市と言われると…まあそこそこですかね? 継続的に活動してるのはそんなに多くはないと思います。他がよくわからないのであれですけど、なんとなくにぎわいはあるかなと思います。僕ら劇場が出来上がって、横とのつながりっていうのが増えて来たんです。それまで各団体、各団体ってとこでしたけど、ユニットの創作も増えたので、多少は活性化には役立ったかもしれないですね。


ーー自分で空間を持ったことで変化があったということですね?


福永:空間は逃げないんで。人がどんど入って来るので。僕はそれまで影の中で潜んで活動してた気がするんですけど、否応なしににドア開けて入って来ますから、僕もどんどんオープンになるんですよね。それで人と交流っていうのが生まれて、僕自身の考えも色々変わってきて。本当に空間を持った思ったおかげですね。


ーー劇場持ったおかげなんですね。


福永:はい。スタートする時点で全然気付かないないことが。単純に場所が欲しかったっていう個人的な欲望だけだったものが、後から気付かされるものがたくさんありました。


ーー例えばどんな?


福永:地元の劇団の人たちが使い始めて、彼らが教えてくれるんですよ。彼らは小劇場とか、僕らもそうですけど、知らないんですよあまり。そういう空間がないんです。僕らの劇場やりたい放題ですけど、「あ、こういうよさがある」っていう、単純に値段とかキャパシティの問題ではなく、いろんなことが実験できるんだっていう可能性を彼らが教えてくれたっていうのが、僕はあって。


ーー同じ那覇市でやっていてもそんなに横のつながりがそれまでなかったんですね?


福永:ないんです。知ってるんですけど、やっぱりちょっと壁があるんですよ。


ーー「見に来てよ」とか「チラシ入れさせて下さい」とかも?


福永:まあそういうのもありますけど、あっちはあっちみたいな妙なところもあって。つまらないなと僕は思ってたんですけど。基本は今、全体的には若い層が僕の劇場を使ってるっていう感じがします。僕より年齢下ですね。(劇場を)持って学んだことたくさんありますね。すごく僕自身が変わったし、沖縄の状況も変わったし。


ーーそうなんですね。影響力があったというか?


福永:あるらしいですよ。人づてなんですよ。僕んところに、「今すごく活性してますね」とかって記者が来ても、「僕に聞かないでください」って言って。「使ってる人たちが一番空間のこと知ってるんで」って言って追い返しますけど。


ーーそうなんですね(笑)


福永:人に言わせればそうらしいです。


ーー今後もずっと演劇活動を続けられると思うんですけども、福永さんにとって演劇とはなんでしょうか?


福永:僕自身には中身はないですけど、僕一番着目してるのは人間なんですよね。人間ってなんなんだろうと思って。これが僕にとって一番興味深いことで。なんかスタイルや方法論やらたくさんあるとは思うんですけど 、僕はもっと原始的に考えて人間とはなんなんだろうっていうことだけを中心に作っていきたいなと思ってやってます。


わが街の小劇場(わが街の小劇場Facebookページより)
わが街の小劇場(わが街の小劇場Facebookページより)

(2018年7月29日利賀芸術公園)

 

 長く演劇活動を続けてきた上で、演劇界の時流に沿わず、沖縄にこだわって創作を続けようとする福永さん。自身の劇場を運営し、月1回のハイペースで創作を行うなど、福永さんは今の那覇市の演劇事情を語る上では外せない存在のようだ。「わが街の小劇場」とはどんなところなのか、沖縄を訪れる際にはぜひ立ち寄ってみたい劇場である。

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