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SCOTサマー・シーズン2018レポート③利賀村に来ていたお客さんにインタビュー その1

全国から、世界からお客さんが訪れていると言われるSCOTサマー・シーズン。では、実際、一体どこからどんな人が来ているのだろうか。お話をうかがってみた。


 

1組目、瀬尾春人さん、畑岡完紀さん(ともに劇団みなみ)


劇団みなみの瀬尾さん(左)と西畑さん(右)
劇団みなみの瀬尾さん(左)と西畑さん(右)


 1組目は利賀創造交流館で時間を潰していた若者二人組。瀬尾さんは桐朋学園芸術短期大学を経て、現在社会人。畑岡さんは国学院大学3年生。二人の出会いは高校時代。埼玉県南部地区でお互いに別々の高校で演劇部の部長をしていた。卒業後に一緒に演劇活動を行うべく、3年前に演劇部OBたちで劇団みなみを立ち上げ、現在は演出の瀬尾さんと、劇作担当の畑岡さんの2名で活動中。


ーー利賀に行こうと思ったきっかけは? 


瀬尾:大学の時に鈴木忠志について学んだんです。スズキトレーニンメソッドを体験してみたりする中で、彼の演劇に興味が沸いてきたんです。彼の独自の芸術論であったりとかl、僕の中で何かがつかめるんじゃないかと思って利賀に来ました。『津軽海峡冬景色』を見ましたが、物語としてのストーリー性を重視せずに、人間の心の中の狂気を露出させた、冷たさを表現させた舞台でした。そこにSCOTの俳優の身体性もあり。鈴木忠志の芸術性が確固たるものとしてあるんだなという思いをさせてくれました。


ーー利賀の印象は?


瀬尾:僕たちは埼玉に住んでるので、文明の中で生きてきたんですよね。利賀村に来た時に解放された感じがしました。川にも天気がいい時に入ったんですけど、石がゴロゴロしてて歩きにくかったんですよね。その時にいた友達が歩き方を教えてくれたりして、道具に頼らない人間の身体性っていうものがとても大事なんだなと。鈴木先生じゃないですけど、人間が失ってしまった能力を再獲得とういうんでしょうか、改めて獲得する時に、自然の利賀村っていうところを選んだっていうのは大正解というか、気持ちよく野生に帰らせてくれるじゃないですけど、いいところだなと思ってます。あとはテント泊なんですけど(笑)、けっこう大変な寝泊まりなんですけど、でも自然に囲まれるっていうのがなかなかないから。テント泊は新鮮に起きれるんですよね。すごく気持ちいいですね。


畑岡:あと、人とつながりやすいですよね。


瀬尾:そうですね。世界の人たちがここに来るから、今(この会場に)いる人たちと出会ったりとか。昨日なんかは、女の子たちと踊ったりも(笑)。オーストラリアの女の子たちと写真撮ったり、踊ったり、お酒をおごってもらったりと、いろんな演劇を語り合ったりすごく充実したコミュニケーションがとれました。


畑岡:身体が解放されると同時に、空間も解放されてるみたいな。


瀬尾:東京だと閉塞感を感じてしまう。


畑岡:東京だと全ての人が役割を持っちゃってるから、それで精一杯。


瀬尾:今の世の中分業制になってて、それだけそれだけ、ってなって視野が狭い。(第1回世界演劇祭の)ドキュメンタリーに出ていた演出家も言っていましたが、人間の視野を広くするためにいろんなことをトータルに考えること、トータルに体験してみることが大きいんだな感じさせてくれたところでもありますね。


ーー劇団みなみについて教えてください。


瀬尾:埼玉の川口北高校と鳩ヶ谷高校の演劇部の部長同士だったんです。他の高校も部長、副部長が仲良かったんで、一緒に演劇やりたいねってなって。南部地区なんでぽろっと言ったのが劇団名になりました。


畑岡:ダサいと言われることもあるけど気取らずに(笑)


瀬尾:まさかこの名前で3年も続くなんて思ってもみなかったので(笑)


畑岡:今は劇団員2名で、役者は外部から呼んできてやってます。今は来年の秋に公演を打つ予定なのでそのために準備をしています。題材は決まっているんですけど、相当労力がいるなと。


瀬尾:かなり奥深い歴史の関わる戯曲をやろうと思ってます。


畑岡:大日本帝国憲法の草案が盗まれたという史実があるんです。泥棒に。それを題材にして、色々絡めていこうかなと思っています。大日本帝国憲法の草案が盗まれた瞬間に、いろんな人々の思いが凝縮されたものが爆発する瞬間があるんじゃないか、それを劇的に描きたいと。


瀬尾:二人で歴史劇をやってみたいという共通点があったので。


畑岡:歴史劇と言っても、偏ったものではなく。明治維新ていろんな主張も立場も違うたちの意見が明治維新の時にあったけど、外圧的なところから自分達を守ろうっていう、向いている方向性は全員一緒だった。普段だったら交わらないような人たちが、一つの方向を向いてお互いいがみ合いながらも進んでいった。でも今はそうではないなと。今の日本はいい意味では自由がすごい尊重されていますけど、行き過ぎた面もあるのかなと。自分勝手な人々が主張的に増えてって、お互いをわかり合おうとせずにっていう流れが続いているような気がして…。

 話がまとまらないんですけど、今の憲法も人々の理想の憲法だったけど、時代が流れてくごとに、都合がつかないところがたくさん出てきてっていう。(第日本帝国憲法の時のように)多種多様な中にも一つの方向性があるんじゃないかと。なので、人間の可能性を書くのに、今やるのに適してる題材なのではないかと、勉強しながら書いてます。


瀬尾:来年憲法(改正)の発議があるかもしれないので。


畑岡:あるかわからないけど。そういうアイディアがぽっと湧いたって感じです。


ーー劇場は抑えてあるんですか?


瀬尾:劇場はまだですね。どこでやろうかって。


畑岡:お金がいくらかかるかとかいろいろ考えながら。


瀬尾:300万じゃ足りなかった。


畑岡:400万ぐらい必要だなってなって。


瀬尾:ためて借金借りれるように信用作って。試行錯誤中です。


ーー前回はどこで公演を?


畑岡:前回は今年の3月に新宿のシアターミラクルでやりました。賛否両論があって、その理由がわかった上での次の公演なので、ステップアップしたいです。前回の公演は置いてかれてしまう観客がいて、論理的な思考が完璧にできる人には理解できたけど、感覚で芝居を見る人には難しかった。そこにつまづいて、ドラマツルギーというものがあるんだと学んで。それで足りないものがあるとわかり、それを次の史劇に生かせるかなと(笑)


瀬尾:彼(畑岡)はある意味、思想家的なところがあって。彼の書いた戯曲を、舞台化するというのが僕の役割なので、彼の論理を破壊せずに作るのが僕の使命です。二人とも寄り添いあいながら作ろうとしてます。


(2018.8.31 利賀芸術公園)

 

インタビューという場に照れた雰囲気もありつつ、お二人がSCOTの演劇、利賀の自然、人との交流と、SCOTサマーシーズンの醍醐味を存分に味わっている様子がうかがえた。社会と創作との関わりを意識して自身の作品について考えている若い演劇人にとっては、利賀での観劇や知識人たちのトークは大いに刺激的なものだったのではないだろか。

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