利賀演劇人コンクール2018レポート⑧沖縄の演出家 福永さんインタビュー1/3「沖縄で創作する目的があります」
- hokurikunogekihyo
- 2020年3月1日
- 読了時間: 6分
今年のコンクールで一番遠方から参加していたのが、三島由紀夫の「弱法師」で優秀賞を受賞した那覇市の福永武史さん率いる沖縄チーム。愛媛の世界劇団に引続き、沖縄の福永さんにもお話を伺った。コンクールの上演では、開演前に三線の音楽が流れる演出があったが、福永さんはその演劇活動全般において、沖縄で創作することへの強い思いがあった。利賀村や鈴木忠志、コンクールの審査員らのこともほとんど知らずに参加した福永さんがなぜコンクールに挑んだのか、那覇市で自ら運営する劇場「わが街の小劇場」の話や那覇市の演劇事情も含めて伺った。まずは、沖縄で長く俳優を続けてきた福永さんが演出を始めたきっかけや、福永さんが感じる沖縄の人の良さをお伝えする。
●今回お話を伺った方
福永武史さん
1996年より演劇を始める。2011年より劇場を始める。2012年より演出を始める。
沖縄在住のわが街の俳優たちと沖縄という土地で何が創作できるのかを模索中。

自分の劇場を作り、俳優から演出家へ
ーー普段の活動について簡単にお聞かせください。
福永:活動はですね、僕らは劇団ではないのですが、僕劇場持っていて、そこの劇場で一緒にやってる役者さんたちと今回は劇場代表でっていうことで出場させてもらったんです。普段は普通に演劇作ってます(笑)。特に何か変わったことやってるっていうわけではないですけど、僕らは僕らの空間があるので、そこで何ができるのかっていうのを見つめながら作品を製作してる感じですね。
ーー「※わが街の小劇場」というのが劇場の名前ですか?
(※わが街の小劇場・・・沖縄県那覇市にある小劇場。)
福永:そうです。
ーープロフィールによると96年より演劇を始めて、そこから2011年より劇場を始めていますが、その間はずっと沖縄で活動されてたのでしょうか?
福永:そうですね。僕は自分の所属する劇団がありながら俳優だけをやってきたので、演出というのは劇場を持ったからっていうわけじゃないんですけど、僕の中で肉体一つで表現するっていうのをちょっと超えて、作品としてやってみたいなあっていうのがあったので、たまたま偶然ですけど2012年から演出っていう作業をやらせてもらってます。
ーー所属してる劇団も沖縄の?
福永:そうです。今はもうないです。劇場を持って最後ということになっているかと思います。
ーー劇場始められたのは何かきっかけがあったんですか?
福永:僕らは通常みんな公共ホール借りて週末だけ公演を打ってという形になっていて、稽古場ですらもなかなか見つけるのが大変なので、単純にその場所が欲しかったっていうことがまず第一前提ですね。自分たちで自由にできるっていう。それだけが理由で始めたんですけど。

沖縄で創作する目的があります
ーー生まれてからずっと沖縄に?
福永:生まれは沖縄ないんじゃないです。
ーーそうなんですね。
福永:でも小学校の頃には沖縄にいるので、あんまりことさらどこ生まれですっていう主張するほどのあれでもないです。
ーーそこからずっと沖縄に?
福永:そうです。ここでずっとやり続けてます。ここで創作する目的があります。
ーーその目的というのは?
福永:僕は沖縄の人たちってっていうのは、すごく個性があって、磨かれないざらざらとした原石みたいな感じがするんです。僕は演劇の内容っていうのは一つ一つの摩擦っていうのを大事にして、温度を大事にしているので、なんかこうなんとも言えない人たちを一緒に使って何か一つにしてみるっていうのが、すごく面白いなあと思っていて。本当に色鮮やかな気がしますね。人として。
ーー沖縄の人たちの良さを生かして演劇をしたいということですね。
福永:群舞みたいなのはたぶん下手くそだと思うんですよ。一つの方向に全部向いているっていうのは。右向け右でこう揃えるっていうのは非常に難しいですけど、違うベクトル同士が交差するっていうのを僕は沖縄でちょっとやってみたいなあと思ってて。 現時点でも何が我々の強みなのかっていうのを探しているところです。ただ、ずっとここで創作しているとわからないので。自分たちが何をしてるかっていうのが。それでこういう(コンクール参加の)機会っていうのをやってるって感じですかね。
ーー沖縄から出て公演したのは今回が初めてですか?
福永:初めてです。
誰からも影響を受けずに自分の感覚のみで作ってます
ーー演劇を始められたきっかけっていうのは?
福永:きっかけは…そんなに強いものはないんですけど。僕はスポーツが好きだったので、スポーツだけをずっとやってたんですけど、これは厳しい世界だと思ってちょっとやることがなくなって宙ぶらりんになって、本当にたまたまっていう感じです。やってからっていうのが強いかなと思うんです。やる前にすごいものを持ってたってこともまるでないんですけど。やり始めてもすごく違和感があって。僕は人と接するのが苦手なので。なんでこんな団体の創作を選んだのかなと思いますけど(笑)。今となってはそれがいいなあと思ってますね。
ーー今回の公演を見て、どこかで修行されてたのかなっていうように見えました。どこかの劇団ですとか演出家のもとでやっていて、例えば東京のどこかで活動されてたのかなと。
福永:全く関係ないですね。
ーーこの演出家が好きだとか、そういうのがあって影響を受けてやったっていうことでも全くなく?
福永:全くないですね。いまだにないです。自分の感覚のみで作っているので。比較する情報もそんなにないですし、逆に言えば影響受けないっていう強みもありますけど。
ーー今回の福永さんの演技でいうと、例えば舞踏をされていた方のかなと、そんな風にも見えました。
福永:なんか言われるんですけど、全くもって僕の中にはないです。よく言われますけど。
ーー言われるんですね(笑)。
福永:好きではありますけど、全然知らないですし。
ーー見たことは?
福永:見たことないです。
ーー沖縄の演劇を見る環境というのもよくわからないんですが、沖縄で公演するのはやっぱり地元の方が多いんですか?プロの沖縄公演はありますか?
福永:プロかアマチュアかと言われるとすごく難しくて、ただみんな楽しく作ってるっていう感じはすごくしますね。ただ、流行り廃りも知らないですし、簡単に言うと歴史すらも知らない人たちがやっているっていう。
ーー演劇史のことですね?
福永:そうですね。東京で何が行われているのか、世界に何があるのかそういうこともほとんど知らない状態でやってるっていう、ある意味純度は高いんですけれど、それゆえに自分たちのことが見えないっていうことは裏表であると思います。
情報を探して足を運んだり、インターネットを使えば世界中の演劇を見ることができる時代において、福永さんはあえて他から影響を受けないようにしているように感じた。また、沖縄の人の良さを生かしたいという言葉からも、福永さんの言う「純度」を大切にした創作活動へのこだわりが感じられた。次回は、そんな福永さんが沖縄から出てあえて利賀演劇人コンクールへ挑戦した背景やそこで得られたものなどを語る。






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