今年の利賀演劇人コンクールでは、今後の応募や利賀芸術公演での創作等を希望する若手演劇人が無料で利賀村に滞在できるスカラシップの募集があった。いったいどんな演劇人がスカラシップ枠で訪れていたのか。スカラシップ参加者に日頃の演劇活動と彼らが観客としてどのようにこのコンクールを見たのか伺ったところ、演劇留学を控える方やこれから演出作品を世に出そうという方など、演劇に情熱を持つ若者が勢揃いしていた。フレッシュな顔ぶれの中に、富山出身で都内で自身のユニットを主宰しながら活動している綾門優季さんもおり、地元出身者ならではの話も聞くことができた。インタビュー中は利賀村名物のオロロ(アブ)が登場するなどし、その状況も含めた様子をお届けする。
●今回お話を伺った方
綾門優季さん…劇作家・演出家。青年団リンク キュイ主宰。青年団演出部に所属。2013年、2015年せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。富山県南砺市出身。
琴松蘭児さん…演出家・劇作家・俳優。ひょっこり船主宰。
櫻谷翔吾さん…学生時代に演出を経験し、イギリスへの演劇留学を予定。
曽根千智さん…無隣館3期演出部所属。青年団企画の舞台で演出助手を担当。2019年演出作品を予定。
松本一歩さん…俳優・演出家・制作・ドラマトゥルク。平泳ぎ本店主宰。第8回せんがわ劇場演劇コンクール参加。
フランス戯曲を上演 ひょっこり船主宰、琴松蘭児さん
--よろしくお願いします。みなさんはスカラシップの枠で今回参加されているということなんですが、お名前と普段どん演劇活動をされているのか教えて下さい。
琴松:よろしくお願いします。ひょっこり船という演劇ユニットをやっております、琴松蘭児と言います。
--芸名ですか?
琴松:ペンネームです。
--ひょっとこ…船ですか?
琴松:えーっと、ひょっこりです(笑)
--すいません。
琴松:わかりづらいですよね?(笑)
綾門:このおもしろさ録音で伝わらないですよね。
--ひょっこり船ですね?
琴松:はい、船…。
--どんな作品を?
琴松:今までやったのだとフランス演劇とかやってるんですけど。
--もともと戯曲があってそれを演出されたり?ちなみにフランスのどなたの?
琴松:前回がジャン・ジロドゥで、その前はなんかオムニバスみたいなのをやって、その前がジャン・ジュネの「女中たち」をやりました。
--メンバーは大学の仲間とか?
琴松:ではなくて、※離風霊船ていう劇団に客演をしたメンバー同士が意気投合して作った劇団で。
※離風霊船…劇団離風霊船。1983年結成。
--もともと演出をしたかったっていう?
琴松:もともとは俳優で出てたんですけど、自分のイメージとかがけっこうあったりもしたので、それを具体的に形にできるのが演出かなと思って、演出をやってます。
--で、都内で活動されてるんですね。
琴松:はい。
作家のいない俳優主体のユニット 平泳ぎ本店主宰、松本一歩さん
--ではお隣の松本さんお願いします。
松本:松本一歩です。東京で平泳ぎ本店という俳優だけの団体の主宰をしています。学生の頃は学部で演劇の勉強をずっとしていて。※チェルフィッチュとか※地点とか。地点で卒論を書いて卒業して。で、その後に文学座に入ったんですよ。地点の三浦さんに「なんで文学座に」って言われつつ。文学座に入ってそこで3年間研修があって、その後卒業した同期で今の団体をやっています。
※チェルフィッチュ…劇作家・演出家の岡田利規主宰の演劇カンパニー。
※地点…演出家、三浦基が主宰する、京都を拠点に活動する劇団。
--平泳ぎ…。
松本:本店。
--「本店」ですね。
松本:「本舗」じゃなくて「本店」。そういう団体です。
--なるほど。どんな作品を?
松本:基本は作家がいないので、集団創作とか、あとはほんとにそれこそ鈴木忠志さんの「劇的なるものをめぐって」みたいにいくつもの演劇のテクストとか、あるいはいろんなモチーフ、小説とかのテクストをコラージュして1本の作品にするみたいな。その中でいろいろな演劇手法、身体表現とか普通のストレートプレイとか、演劇の中でも地点ぽいのとか、宮城さんぽいのとか、チェルフィッチュっぽいのとか、平田オリザさんぽいのとかいろんな手管を使って作品を作っているような。
--いろんなスタイルを試しているような?
松本:そうですね。
--作家がいないってことはどんな風に作ってらっしゃるんですか?
松本:テクスト使いたいやつとか興味があるものをまず持ち寄って。シーンになりそうかなどうかな、みたいなのをしばらく稽古場で試して。「このテクストだったらこういうやり方でいけるんじゃない?」みたいな。全く見えない時はもうできないですけど(笑)
--みんなで作ってる感じですね?
松本:そうですね。たまにテクスト全くなしで、いわゆるエチュードからシーンができるみたいなこともやってました。
--都内中心にやってらっしゃる?
松本:はい、都内です。
イギリス演劇留学を前に利賀へ 櫻谷翔吾さん
--それでは、お次は櫻谷さんお願いします。
櫻谷:櫻谷翔吾と言います。大学時代に芸術学部っていうところに在籍していて、そこで※錬肉工房という団体を主宰している※岡本章さんという方がいらっしゃるんですけど、その人のもとで演劇の勉強をしたりしていました。昨年卒業して、イギリスの方に演劇の勉強をしたいっていう思いがあって、その準備段階としてイギリスに語学留学に行ってて、最近帰ってきたんで、今のところこれといって活動はまだしてないです。
※錬肉工房…1971年、岡本章を主宰者として早大劇団「自由舞台」のメンバーを中心に結成される。(劇団サイトより)
※岡本章…演出家・俳優。元明治学院大学文学部芸術学科教授。
--俳優さんですか?
櫻谷:僕は演出です。
--演出さんですね。イギリスを選んだ理由みたいなのがあるんですか?イギリスの演劇が好きで?
櫻谷:演劇始めた頃から、僕の演劇のイメージがイギリスに強くあったっていうのも大きいんですけど。あとは、演劇の勉強をもっとしたいって思っていろいろ調べた時に、先輩方でイギリスにけっこう留学されてる話を聞いて、それと自分のイメージと重なって、じゃあイギリスに行こうかなって。
--学生時代から演出を?
櫻谷:最初の頃は役者をやっていて学内の同期が作った劇団に参加していたり、あとは客演という形で外の劇団に役者として参加させていただいたりしてたんですけど、3年生の時に役者から演出の方に移行して、それ以降は演出家として演出数本やったり、あとは演出助手ついたりしながら勉強してる状態です。
--どんな作品をやられてたんですか?
櫻谷:大学時代は同期が書いた脚本を僕が演出したりっていうのと、あと柴幸男さんの「少年B」っていう作品があるんですけど、それを演出したりしていました。
--じゃあ留学に向けて今楽しみにしているところですね。
会社を退職して演劇一本の生活に 曽根千智さん
ーーそれでは、お隣の曽根さんお願いします。
曽根:所属としては、青年団の下部組織にあたる無隣館という演劇学校の3期演出部というところにいます。今2年目です。私の場合は大学時代に平田オリザの授業を受けていたのが最初で、演劇やるつもりはなかったんですけど、受けたオーディションにたまたま受かって俳優からスタートしています。で、その後認知症をテーマにした演劇で、ドキュメンタリーっぽい演劇をどうやって作れるか、舞台の上に上げれるかみたいなことをリーディングでいろいろやってみたりしました。大学時代です。卒業してから一般企業に勤めていて、2年勤めた段階で無隣館を受験して1年並行してやってたんですけど、どうにも首が回らなくなってきて 、どっちかに絞ろうと思った時に演劇を仕事にしたいと思って企業の方を辞めました。
--2足のわらじを履いてたのを、演劇を取ったっていう…。
(ここで綾門さんが、飛んで来たオロロ(アブ)から逃げ始める。)
曽根:(綾門さん)オロロから逃げてます(笑)
ーーオロロから逃げてますね(笑)
綾門:僕今気が気じゃないです。
-- (綾門さん)一番地元の人なのに、一番虫を恐れてるような感じですね。
綾門:僕の足元にいたから。
--曽根さんが無隣館に入られたのは演出がしたいから?
曽根:そうですね。演出がしたいからっていうのもありましたけど、なんかやっぱやっていく上で自分がどれくらいの位置にいて、っていう…(オロロが来て)うわー。
(ここで櫻谷さんがキンチョールを噴射し始める。)
--めっちゃキンチョールの音がしてますね(笑)
櫻谷:死んだ、死んだ。
--ありがとうございます。これで安心してインタビューを続行することができます。
曽根:よかったです。ありがとうございます。
--演劇に関わりたいけど何しようかなみたいな感じですか?
曽根:そうですね。きっかけもなかったし、一緒にやる仲間も、私関西出身なんで周りに全然人もいなくてどうしようかなって思ったところで募集があって。
--大学まで関西で?
曽根:そうです。就職で東京です。
フランスの有名演出家にメールを送りまくって、見事演出助手に
--演劇を選んで、無隣館2年目で。何か演出を?
曽根:来年の2月に初めて※春風舎というところで企画が通ってやることになったので、それに向けて今準備を進めています。
※春風舎…アトリエ春風舎。東京都板橋区にある青年団の稽古場・アトリエ。
--それまでは?
曽根:青年団のお仕事として演出助手とか。※パスカル・ランベールという演出家がいるんですけども、その方の作品に演助に付いたり、※山口茜さんが主宰するトリコ・A、サファリ・Pの演助についたり、演出家の方に師事しながら今勉強中という感じです。
※パスカル・ランベール…フランスを代表する劇作家・演出家。
※山口茜…劇作家・演出家・俳優。トリコ・Aプロデュース主宰。
--演助につくきっかけは?
曽根:青年団(企画)の公演だったので。(パスカルの公演の)オーディションがあったんですけど俳優で受けたら演助で通ったという。
一同:えー。
綾門:なんらかの歪みがありますね。
一同、笑う。
曽根:俳優で最初落ちて。オーディションに。で、諦めきれなさ過ぎてパスカルに直メール打ったんですよ。そしたら何通も何通も打ったから、さすがにこいつ頭おかしいんじゃないかと思われて。
--返事がなかなか来なかった?
曽根:返事がなかなか来なくて、そしたらオリザさん経由で「パスカルが演助、君でどうかなって言ってんだけどどう?」みたいな感じで声をかけてもらって。「ああ、じゃあやります」って。
--よっぽどパスカルさんが好き?
曽根:そうそうそう。会社辞めるきっかけがパスカル・ ランベールの「愛のおわり」を見たからなんですよ。
一同、「あー」。
曽根:やばいなと。
--パスカルさんていうのは劇作家?
曽根:劇作家、演出家です。
--それで粘って、演助に入って。来年の2月にやるのは?
曽根:来年の2月にやるのは自分の公演で「恐るべき子供たち」、ジャン・コクトーの小説を舞台化するのをやろうかなと。(※この企画は新作上演に変更となりました。)
※ジャン・コクトー…フランスの芸術家。文学や美術、映画など多方面で創作を行った。
--小説がまだ戯曲になってない状態で?
曽根:今書いてるところです。フランス語からやろうかなと思ってて。
--原語を戯曲化するっていうことに挑戦されているんですね。琴松さんとフランスでつながってますね。
琴松:フランスの作家ジャンばっかりですね。
--ほんとですね(笑) 。その間に今回はこちらの利賀の方に来られたというわけで。
曽根:去年大変勉強になったので今年も来ました。
迷惑であることがアイデンティティ 富山出身の劇作家、綾門優季さん
ーーでは最後に北陸出身の綾門さんです。
綾門:綾門でーす。無隣館の説明が曽根さんからあったと思うんですけど、僕は無隣館の1期の演出部を卒業して、それから青年団演出部に入って、青年団演出部に入ってから今4年目とかかな?僕は基本的には演劇をやりたいかどうかっていうよりは、たぶん逆で、もともと子供の頃から人を怒らせるのがすごい好きで。
--そうなんですか?(笑)
綾門:とにかく好きで。小学校の時に学級崩壊が起きてて。担任の先生がちゃんとしてないから。だからすごい僕が代わりに授業してクラスの成績を上げたりしてて。そしたら校長先生に呼び出されたりとかして。大問題になった。
一同、笑う。
--問題児だったんですね。
綾門:やっちゃダメじゃないですか?
曽根:まあねえ。
綾門:代わりに授業するまでに、ちょっとほら、もう少し段階があるじゃないですか。
曽根:隣のクラスの先生に頼むとかね。
綾門:いろいろあるじゃないですか?いろいろすっ飛ばして…。とかやってたので。これ普通に迷惑だなと思ってやってるんです、僕も。
一同、笑う。
琴松:自覚しつつやってる。
綾門:自分がすごく迷惑だなと思ってやってるんだけど、迷惑であることがアイデンティティだからどうしようかなと思ってたんですね。で、演劇ってすごいなと思ったのが、基本的にはやっぱり今、嫌がらせをすることによってお金を引き出してるような状態だと思ってて。だから、戯曲は見て「うわー」って観客を思わせることによって、なぜか観客がそれにお金を払うっていう状態で。劇評は「おもしろかったな」で終わればいいのに、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言って人を考え込ませたらお金が出てくる状態だと思うんです。(演劇の)審査員とかも、すっきり「どれもおもしろかったです」って言えばみんな幸せなのに、「あそこがうーん、ここがうーん」っていうことによってげんなりさせるっていう仕事だと思ってて。それでお金が出てくるっていう。だからちゃんと、僕は迷惑を与えて、観客はその迷惑を享受してお金を払うってことに疑問を抱かないシステムができ上がってて、これすごい合理的だなと思ってて。これ会社とかだと大問題なんですよ、たぶん。
松本:小学校で大問題になってたもんね(笑)。
綾門:まあ、中学でも高校でも大学でもそれぞれ別の問題が起きたんですけど。根本的にそういうところがあるから。
ドイツやオーストリアの戯曲と親和性があります
--問題を起こすのは小学校で終わらなかったんですね?
綾門:そうですね。それぞれの組織がそれぞれの問題があるんで、それぞれの問題を突くから。僕が大学で学べたのが、※エルフリーデ・イェリネクって作家がいるんですけど、とにかく、もう全てが不愉快な文章を書く人で。どの戯曲も。それを国会図書館とかまで行って、本になってないドイツ文学の同人誌とかにしか載ってないやつまで読んで、卒論を書いたりとかしてて。
※エルフリーデ・イェリネク…オーストリアの小説家、劇作家。2004年ノーベル文学賞受賞。
--イェリネクで卒論を書かれたんですね。
綾門:基本的にはそういう、明日(東京に)帰るのもそうなんですけど、現代ドイツとかオーストリアとかの劇作家とすごい親和性が高いなと思っていて。やっぱあそこは、すごい離婚でもめた後に、夫の火をつけてポーンとか。
一同、笑う。
綾門:「火の顔」っていう…(オロロが来て)あーもう…。
--オロロと戦ってますね(笑)
櫻谷:ちょっと(キンチョール)借りてもいいですか?
琴松:あ、どうぞ。
--綾門さんはドイツ、オーストリアあたりと親和性が?
綾門:※トーマス・ベルンハルトという人の、昔一流だったけど、今や落ちぶれた三流の老人の俳優が田舎の劇場で公演するにあたって、ここは逃げる避難経路もなってないし、スタッフもなってないし、共演者もなってないし、戯曲も面白くないしって、あらゆることをけなし続けて他の人たちが「まあまあ」って言う戯曲があるんですけど。
※トーマス・ベルンハルト…オーストリアの小説家、劇作家。
--へえー。
綾門:「座長ブルスコン」ていう。6人か7人ぐらい出てるんですけど、基本的に9割以上老俳優の悪口で成立している戯曲で、僕が最もおもしろいと思っている戯曲があるんですけど。驚くほど他の俳優のセリフがないんですよ。10ページぐらい喋りっぱなしで、悪口を。
--ところで何の話してましたっけ?
綾門:ていうのが基本的には、演劇の来歴。
--すみません。本当は綾門さんは書き言葉で取材を受けたいって言ってらっしゃったんですけど、無理やり話し言葉でインタビューさせてもらってます。
綾門:インタビュー読んでわかるかどうか(笑)
次回のインタビューでは、スカラシップ参加者のコンクールや利賀の感想を伺った。
現代演劇の聖地だと聞いて利賀を訪れた方から、利賀村の近くに住んでいたものの一度も利賀で演劇を見ずに上京した綾門さんのお話まで。