他の演出家から影響を受けずに、自分の感覚で沖縄にこだわって創作を行ってきた福永さんが、利賀演劇人コンクールに挑戦しようと思った理由、利賀山房という空間にどう向き合ったのか、そしてコンクールに参加して得られたものなどをお伺いした。
利賀演劇人コンクールは直感で応募しました
ーー今回利賀のコンクールを選ばれた理由っていうのはあるんですか?
福永:僕は直感だけで生きてるので、単純に何かでこの情報を知って、これいいなって思ったんですよね。僕の感度的に。何がいいとかっていうのは全く分からなくて。日本の演劇においてなんかすごく真摯な感じがして。たまたまですね。流れで、本当に流れで。いつかと思って去年見に来たんですけど。
ーー去年のコンクールですか?
福永:はい。鈴木さんの作品も見たことないですし。全くわからない。他の人たちも。
ーー他の審査員の方の作品も?
福永:審査員の人たちも知らない。それぐらいの情報量ですね。
ーー劇作家については?例えば課題戯曲がどんなものかというような。
福永:基本古典やる人はまるでいないですよ。全くないですよ。僕もこの大会を目指すっていうことになって初めて着手したので。沖縄は基本全てオリジナルですね。
ーー沖縄の演劇事情っていうのはそういう感じなんですね。
福永:はい。誰かが創作して。作家さんが演出するパターンが多いですね。ゆえに世界が狭くなりがちですね。非常に。
ーーいつもは福永さんが書いて演出されるっていう?
福永:僕は作家には全く向いてなくて。たまたまうちの劇場を立ち上げてこの人(新城啓さん)が書いて。
ーー今回の音響の方ですね?
福永:制作でもあるんですけど。彼は音響とか全く知らないので。僕ら明かりも音も全然いないんですよ。スタッフが。
自分たちの足元をそのまま見せて何が返って来るかが実験だった
ーー今回は明かりと音のスタッフがいましたが、いつもはどんな方が?
福永:全て、明かりも音も僕が指示しています。最悪僕出てなかったら僕がオペレーションします。全くプロの人には頼まないし、僕らの劇場っていうのはほとんど拙いもの(機材)だけ揃っているので。今回もこの拙い(音響、照明の)考えだけで、そのまま利賀の山房でやれたっていうのはなんかすごく自信になりました。逆に。
ーー確かに音響、照明はシンプルでしたね。
福永:そうです、単純なもので。
ーー舞台セットも折り紙だけでしたね。いつもやってるスタイルがそのままだったんですね。
福永:僕ら自分たちの足元をそのままお見せして何が返って来るかっていうのが、今年のコンクールにおいての実験なので。何か奇をてらったことをやったら、逆に跳ね返ってくるものがわからなくなるので。あとは、遠方から来るので一切道具はゼロっていうのは最初に宣言をかけてるので。その中で作ったって感じです。
ーーいつもは今回の音響の新城さんが戯曲を書かれてるということですね?
福永:そうですね。よく書いてます。
ーーどんな内容ですか?
福永:内容は本当にばらばらで。
ーー時代も?
福永:そういうこともばらばらです。古典と(オリジナルとで)全く違うのは、どちらの台本でも探せば探すほど宝っていうものは見つかるものがあるんですけど、古典はわからないことがたくさん出て来るので探しがいがあります。あとは本としての強度が全く違うので。オリジナルと。その辺ていうのは向き合う時間があると筋肉がつきますね。すごく。
ーー今後は古典をやる予定はもうないでしょうか?
福永:そんなことないです。僕らは沖縄では全く見ないので、古典を。これは僕としても続けていきたいなあと思っていて。
ーーコンクールへの参加をきっかけに?
福永:僕は好きなので。
ーーすごく三島さんの作品が福永さんとマッチしていたように見えたんですが、三島さんに限らずということですか?
福永:そうですね。去年見たとき僕は三島には全然興味がなかったんですが。彼(新城さん)はたまたま好きですけど。今回この戯曲選んだのは、まず日本の作家であるっていうことと、あとはやっぱりなんかすごくタイトな感じ、ミニマムな感じがしたんです。一つの世界を表すのにおいて。最小人数だなという気がしたんで、これ選びました。
利賀山房の空間に合わせて1日で作り直しました
ーー今回参加してみてどうでしたか?
福永:まずは、僕は(利賀)山房っていう空間でやらせてもらいましたけど、やっぱ劇場のもつ何かがあるんですよ。目に見えない何かが。初めに来た時は落ち着かなかったですけど。僕ら沖縄公演を1週間前にして、1週間遊ばせてこっちで最初から作り直すっていう予定で来たんです。なぜならここはここの空間のはかりがあるので。僕らの強みはずっと自分たちの劇場っていう空間を持っていて、ここ(利賀山房)にも色合いがあるのでここで創作してるってていうのは逆に強みになるだろうなと思って。ここはここの空間のはかりで、っていうことで1日で全部作り直しました。
ーーそうなんですね。劇場に合わせて?
福永:そうです。この空間で気付くっていうものがあるので。雰囲気とか、目に見えるものから目に見えないものまで。それはもう僕の感覚だけなんで、何がどうっていう理屈はないんですね。
沖縄でやっている形のまんまでできたってことが自信につながった
ーーコンクールに参加して何か得られたものは?
福永:まず自分たちでやってることっていうのは少し自信になりました。ここ空間が非常に強いので、そんなにあかりやなんたらっていうのは、ごちゃごちゃいらないなと思ってたんですけど。向こうでやっている形のまんまでできたってことが少し自分には自信になりましたね。
ーーなるほど。
福永:あとは創作する過程で、僕自身が今まで自分と向き合う時間がそんなになかったんですけど。言葉にするのがめちゃめちゃ難しいんですよ。
ーー演技をする上で?
福永:や、もうこの演出ノートそもそも難しんですよ。こんなこと書かないですから誰も。改めて自分と向き合って、ほんとに自分の中にないものは絶対に出さないっていうことが念頭にあったので。何があるんだろうっていう、この押し問答が本当に逆にすごく勉強になって。自分ていうのはこういう感じだっていうのは、むしろ講評を受ける前に、ここに来るまでになんかつかめたなっていう気がしたんで。ここに来る過程っていうのがすごく勉強になりました。
直感で参加を決めたコンクールを通して自分と向き合い、自信を得た福永さん。次回のインタビューでは那覇市の劇場運営の裏側と劇場を始めたことによる、自身や周囲の変化について、そして福永さんにとっての演劇とは何かについて語っていただいた。