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SCOTサマー・シーズン2018レポート①アジア演出家フェスティバルー瀬戸山美咲さん(ミナモザ)インタビュー


 

 毎年開催されているSCOTサマー・シーズンではSCOTの作品の他に「アジア演出家フェスティバル」と題して、同じ戯曲をアジア数カ国の演出家が日替わりで公演するという企画がある。2018年の上演戯曲はブレヒトの『処置』。日本チームの演出を担当したミナモザの瀬戸山美咲さんに、これまでの活動やフェスティバルの感想などのお話をうかがった。

 

●瀬戸山美咲さん・・・劇作家・演出家

1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。 2001年、ミナモザを旗揚げ。現実の事象を通して、社会と人間の関係を描く。

2016年、パキスタンで起きた日本人大学生誘拐事件を描いた『彼らの敵』が第23回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。

ラジオドラマ『あいちゃんは幻』で第42回放送文化基金賞脚本賞受賞。

映画『アズミ・ハルコは行方不明』(山内マリコ(富山出身)原作)脚本。 2019年、オフィスコットーネ『夜、ナク、鳥』流山児★事務所『わたし、と戦争』で第26回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。


北陸の劇評 アジア演出家フェスティバル 瀬戸山美咲さん
瀬戸山さん(ミナモザ)

※インタビューは2018年8月31日利賀芸術公園にて行われました。

 

演劇をやる勇気がなかった学生時代から、劇作家・演出家と名乗るまで


ーー2001年にミナモザを設立されたそうですが、来歴みたいなものを簡単に教えていただけますか?


瀬戸山:私は大学早稲田なんですけど、鈴木(忠志)さんと同じ政治経済学部を出てて。なんですけど、演劇始めたのは本当に大学4年生ぐらいで。ずっと好きで見ていたり劇場でアルバイトしてたりはしてたんですけど、何かそのやる勇気がなかなかなかったんですけど、4年生ぐらいの時に始めて。で、けっこう何も知らないまま、演劇の学校とか大学とか一切通わないまま始めちゃったので、そのあと10年ぐらいはちょっと仲間内でずっとやってる感じで。全く世界が広がらない感じだし、みんな演劇やめてってしまうし、どうしようみたいな感じでやっていて。並行しながら雑誌のライターをやってたんですけど、2011年に震災が起きたぐらいから、本当にちゃんと劇作家、演出家って名乗ってちゃんとやろうって気持ちが切り替わってきて。2013年ぐらいにライターの仕事を辞めて徐々にフェードアウトして(笑)、こっちに移ってきたっていう感じです。


ーー大学4年生の時に始めたのは演劇部か何かですか?


瀬戸山:大学4年生の時は、その頃つかこうへいさんの芝居が好きで。その頃というか高校生ぐらいから好きで。北区つかこうへい劇団ていうのがあって、そこにとにかく演出や劇作の勉強したいなと思って、入り方がわかんなかったんで俳優のオーディションを受けに行ってそういう話をしたら、音響のスタッフの手伝いで拾っていただいて。大学4年生の時に2公演ぐらいやって、卒業後はつかさんの下で演出してた方の演出助手とかをやったりとかしてました。そこで演出助手をやりながら、自分のも翌年ぐらいに作ってしまって。


ーーつかこうへいさんのお芝居が好きだったんですね。


瀬戸山:上演を高1ぐらいの時に見て。『熱海殺人事件』を見て、すごい衝撃を受けて。なんだろうっていう、これはリアリズムとも全然違うけどもすごい圧倒されるし、台本は、つかさんはけっこう時代によって書き直していくっていうところが面白いなと思って。私も時代に即したものとか現代を書きたいという気持ちがすごいあるので、そこが尊敬できるなと思うし。亡くなってしまって、実際お手伝いした時とか一回しかお会いできなかったんですけど、なんか自分の世代でじゃあ今度何ができるっていうのを、つかさんの表現は、あれは書き換えてこその表現なのかなと思って。自分は今を自分の方法で書こうっていう。

 

「インタビュー原稿ってちょっと似てるじゃないですか、戯曲と」脚本に生かされたライター経験


ーー戯曲は独学ですか?


瀬戸山:戯曲は独学ですね。むしろライターをやってる中で、人の声とかをひたすら聞いてたので、インタビュー原稿ってちょっと似てるじゃないですか、戯曲と。対談とか(笑)。そういうのの語尾とか一人称とかそういうのがどうなってるかみたいなのをすごい意識的にやってたのでそれが修行になったくらい。勉強はもう独学ですね。本読んでみたり。


ーーライターはどんなジャンルの?


瀬戸山:最初は週刊誌とかで、週刊現代とかああいうのの柔らかめの記事を書いたりしてて。途中からファッション誌とか、一時迷走してた時は恋愛とか結婚とかの記事ばっかり書く仕事が来て、だんだん疲れて来ちゃってやだなと思って(笑)。でも、ときどき社会情勢的なことを取材させてもらって、例えば震災が起きたら今回はちゃんと震災のことを書こうみたいなことを編集部の人が言ってくれて。仙台とか岩手とか震災後に頑張ってる女の人の取材に行ってとか、そういうルポっぽいものを書いたりとかはしてました。


ーーどんな戯曲を書かれているのですか?


瀬戸山:ドキュメンタリーっぽいものが多くて。実際にあった事件とか事故とかそういうものを題材にしたりそか、あと自分の私小説に近いというか、自分自身のことをまるまる芝居にしたりとかそういうことをやってました(笑)。例えば2011年に震災が起きた時に東京に暮らしてたんですけど、その自分の半年間の話をそのまんま舞台上にあげるみたいなことをやったりとか、そういうことが多いですね。あとは『彼らの敵』っていう作品は賞もいただいたんですが、これは私の知り合いのカメラマンさんでパキスタンで大学生の時に誘拐された人がいて、強盗団に誘拐されて44日間森の中に監禁された人がいて、その人の体験を全部取材して。(彼は)日本に帰ってきてからすごく大変で、誘拐の時はもちろん命の危険にさらされて大変でしたけど、 日本に帰って来てから「馬鹿な大学生が遊びに行った」ってずっと批判されてすごいバッシングを受けたんですよね。それがすごい日本の社会っぽいなと。同調圧力というか。今回出てた西尾君ていう(劇団)チョコレートケーキの俳優がそのカメラマンの役で、あと5人だけ出て来て20数役やるみたいな感じでやって。


ーーミナモザさんの公演は、既製の戯曲は使うのですか?


瀬戸山:基本的に私が自分で書いたものがほとんど100%です。原作がある時もあるんですけど。どちらかと言えばおととしぐらいまでは劇作家が中心で、去年から演出をけっこうやり始めた感じです。自分の作品を演出することばっかりだったので。


ーーいつものミナモザさんのメンバーは?


瀬戸山:固定メンバーはいなくって、今回出ている人は、全員4、5回以上一緒にやっているメンバーで。男性3人は『彼らの敵』にも出ていますし。(今回出演していた)志田理子ちゃんもこれが5回目ぐらいで。だいたい同じメンバーでやってます。それプラス新しい人を入れてやるって感じで。今回は利賀に挑戦なので、一緒にやって来た人だけに声をかけてやったっていう感じです。


ーー基本的には瀬戸山さん一人が固定メンバーっていうことで?


瀬戸山:そうですね。プロデュース公演に比べたら劇団ぽいとは思います。

 

鈴木忠志による演劇教室への参加で初めて利賀を訪れる


ーーいつもは都内で公演ですか?


瀬戸山:そうです。都内と関西公演は何回か行ったんです。京都とか兵庫とかは行ったんですけど。あとは神奈川ぐらいしか行ったことなくって(笑)。それ以外の地域には行ったことがないです。今回富山が一番新鮮な感じで。


ーー富山は初めてですか?


瀬戸山:利賀は3回目ですが、富山で公演をするのは初めてです。


ーー利賀演劇人コンクールでいらっしゃったんですか?


瀬戸山:鈴木さんが若手というか、30代、40代の演劇人に演劇教室を東京で開催していて、おととしぐらですかね、それにまず行って。次の3月ぐらいに「1回利賀見に来ませんか?」っていうふうにSCOTの担当者さんに言っていただいて。(SCOTの)稽古の見学とかに1回来て。雪のまだある時に。利賀はずっと知ってたんですけど、なかなか行くタイミングはなかったんですけど、お話聞いて春も来たら、ちょっと夏も行かなきゃと思ってその次の夏に(サマー・シーズンに)来ました。


ーー利賀演劇人コンクールには参加されたことがないんですね。


瀬戸山:コンクールは実は参加したことがなくって。私はちょっと珍しいみたいで。普段は演劇人コンクール(経験者)とか、演劇人会議(公益財団法人舞台芸術財団演劇人会議)の人なんですけど。私は(演劇人会議に)入ってはいないんですけど、どなたかってはっきり聞いてないんですけど、私の話を鈴木さんにしてくださった方がいたみたいで。担当者さんが何回も東京の公演を見に来てくださって、それで声かけていただいて。今回初めて公演をしに来た感じです。


ーー鈴木さんの演劇教室とは?


瀬戸山:いろんな、30代、40代くらいの、演出家とか作家とか俳優とか制作者とかが15人ぐらいとかで集まって、鈴木さんの話をうかがったり芝居見たりするみたいなのを3、4年前に2年か3年連続でやって。東京でまずそれを開いて。それの利賀バージョンが3月ぐらいにあったっていう感じで。


ーー演劇教室に参加しようと思われたのは?


瀬戸山:演劇教室は、声をかけていただいて。たぶんいろんなツテで。募集はしてなくって、アーツカウンシル東京って助成をしてくださるところが、瀬戸山さん行きませんかって声をかけてくださって。みんなそれぞれにいろんなところから声をかけられて集まって来て。普段会わない、年齢は近いけど一緒にやったことないような人たちと会って、って感じでした。


ーー演劇教室では具体的にどんなことをされたんでしょうか?


瀬戸山:鈴木さんのドキュメンタリーの映像を見て、鈴木さんの稽古を見て、話を聞いて。あとけっこう、演劇人同士でディスカッションする時間をもったりとか。鈴木さんがいらっしゃらなくてもアドバイザー的な人2、3人いらっしゃって一緒に話したりとかそういう感じでした。何日間とか覚えてないですけど、短い間で。


ーーディスカッションではどんなことを話したんですか?


瀬戸山:あんまりテーマがはっきりしてなかったんですけど、社会と演劇とかそういうテーマで、自分の活動について話したりするような感じでした。今何に興味があってとか。


ーー演劇教室というからワークショップをしたりとかそういうイメージでした。


瀬戸山:俳優もいたんですけど、基本的には演出家が多かったので話をするって感じでした。こっちに来た時に利賀版の演劇教室の時は、菅孝行さんとか、山村(武善)さんともお話しする機会があってって感じですね。


ーー製作の方法というよりも、ほんとに演劇について話すっていう?


瀬戸山:そうですね。演劇について話したり。これからは私たちはどうするかということとか。すいません、あんまり詳しく覚えてなくて(笑)。でもけっこう自分の興味にすごく近くて、そういうところが。社会と演劇の関係性とか、演劇の公共性とかそういう話とかが面白かったのと、鈴木さんのお話を聞いたらすごくなんか演劇の枠を超えてるなと思って。こういう風にやっぱりこの世代の演劇人は存在したんだなって。他の文化人とつながっているし。うちの父とか全然演劇のことを全く興味ないし知らないんですけど、鈴木さんのことは知っていて。やっぱり全然今よりも演劇が本当に文化の中心にあって、そういうことを鈴木さんたちはやっていて、私たち今できてないっていうことを実感して。なんかすごい色々考えるきっかけになって。それまで一人で、もやもややり続けていたので(笑)。


北陸の劇評 アジア演出家フェスティバル 瀬戸山美咲さん
瀬戸山さん(ミナモザ)

 

野外上演に向けて都内の公園で稽古ーアジア演出家フェスティバルに参加して


ーー今回岩舞台で上演されましたが、岩舞台を選んだのは?


瀬戸山:山房(利賀山房)もすごくやりたかったんですけど、ここ利賀じゃないと絶対に経験できないのは岩舞台だなと思って。最初は照明さんとかが嫌がったんですけど、私はやりたいって言って(笑)。行ってみないとスタッフさんはわからないから不安だったと思うんですけど、岩舞台を希望しました。


ーーこのアジア演出家フェスティバルというものに参加されてどうでしたか?


瀬戸山:一番最初の日に上演したので、それからずっと反省会みたいな気持ちで(笑)。すごくこの戯曲をやるのが難しくて。読み解くまでが。けっこうもっといろんなことを稽古場で試せたらよかったんですけど、利賀に来てからもこの空間に慣れるのになかなか大変で。上演してみてここも直したいあそこも直したいみたいなこととか、こうやって見えるんだなってこととかがわかって。他の国のを見ると、ここまで色々なアイディアがあって、私はどちらかと言えば自分が書いてドキュメンタリー的な作品をやってたんで、なんか他の国のに比べれば遊び心が足りない上演だったかなと思うんですけど(笑)。遊べるシーンは遊んだんですけど、もっと遊べたなって思って。それこそブレヒトの異化効果だったんだな、笑いを入れるってことがとか。もっと大胆にやれたなあっていうのは今すごく思っていて。他の国の講評とか聞いてても気が付くこといっぱいあったので。あと自分はどうしても日本人には伝わるかもしれないけど、世界の人にに伝わる表現とかまではやれてないんだなという風にはすごく思って。エンターテイメントで見てわかるとかっていうところよりは、言葉の力に頼りがちだったので、もっとビジュアル的に面白い舞台が作れたかなって思いましたね。ただ、一番最後だったら緊張するので、最初にやっておいてよかったなっていうのはあります(笑)。ほんとに国によって全然表現方法が違うし、シリアスだったりとか。シリアスなのはやっぱり中国が共産主義をわかっていてやれてたり、台湾とかはすごい距離をとってやってたり。


ーー共産主義を扱った戯曲でしたけど、何か勉強したりは?


瀬戸山:上演するにあたっては、とにかくブレヒトの専門家の人に稽古に2回来てもらってずっと話を聞いて。これどういう経緯でこの『処置』っていうのを書く前にどんな台本を書いててっていう話を聞いて。石見さんていう人なんですけど。あと古川くんていう、この人がチョコレートケーキの劇作家の人なんですけど、この人は共産主義に詳しいんですね(笑)。共産主義のことを4時間ぐらいみっちり話を聞いて。で、考え方とかそういうところは勉強したけれども、やっぱり自分たちで腑に落ちてるかと言うと、まだそれはないけれども、ただ私はばかにしようという気持ちはなくって、共感できるところは共感できるし、ブレヒトのそのなんというか突き放してるし共感してるところもある台本だなって思ったんで、その距離感とうまくリンクしたいなというのがあって。私たちはどちらかと言えば、その、共産主義はどっかで限界を迎えた思想だなって思って。それは資本主義も今そうなってると思うんですけど、そのなんかある種終わってしまった思想から人が生き返ってくるようなイメージで作りたいというような感じで。イメージで言うとちょっと能みたいな感じで、共産主義で革命できなかった無念さを抱えた人たちが、石灰抗の中から生き返るみたいな、そういうようなイメージではあったけど。


ーーそれらをどう瀬戸山さんが表現したいかっていうのを俳優たちとディスカッションしたり?


瀬戸山:そうですね。みんなでディスカッションをして。なかなか知識だけで補えない部分は。ロシア革命を描いた映画をみんなで見たりとかして、ちょっとでもイメージをっていうのは。


ーー今回シーンによってはコミカルに演出されていましたが、ああいうコミカルな感じっていうのはいつもですか?


瀬戸山:今回の戯曲は「これは笑いをねらって書いてる」と思ったので、笑えるように作らなければってまず思って。でも他のチームを見るとラストシーンまで笑えるってすごいなって。私たちはラストシーンを笑うようには演出できなかったけども、もしかしたら距離をとったらそういうこともできたかもしれない。ただ、私たちは最後は最後でそれをかみしめて、結局アジテーターをみんなが押し付けて自分はやりたくないっていうような、そういうような表現にしていたんで、ちょっと笑いとは離れていったんですけど。でも笑えるようにはできる台本であればどんどんやりたいって思って普段演出してます。今回岩舞台だから歌謡ショーのように降りて来たりもできるとか言って(笑)。


ーー観客からしっかり笑いの反応がありましたね。


瀬戸山:すごいうれしかったです。お客さんのノリがよくって。日本人のお客さんよりも海外の人が笑ってくれる感じが。インドネシアの人とか(笑)。お客さんもみんな台本読んでて、「このシーンだ」、「そう来たかー」っていうそういう笑いもあったり。ただセリフじゃなくて動きとか声とかそういう部分で笑いが起きてるとうれしいなあって思います。


瀬戸山:今回、岩舞台という特殊な舞台でしたけど、稽古も出来るだけそれに近い感じで?


ーー稽古は、東京の稽古場ってすごく狭いんですね。だから舞台上ぎりぎり(岩舞台の広さを)取れるか取れないかで。だから公園に行ったりしてました(笑)。公園に行って測って、この木からこの木までが舞台だって言って、声出して「わー、遠いね」っていうのとか確認して。ただ(利賀に)来てみたら声の響きとかそこまで張らなくても伝わるようにできるんだって思ったし。公園でやった時は全然聞こえなくて、このままじゃだめだみたいに感じになったんですけど。なかなか同じ環境で稽古ができなくて、東京でも階段のある公園とか探してたんですけど、「共産主義の!」とかずっと言ってたら絶対になんか人に言われるから(笑)、なかなか外でやる時はうるさい公園を選んで練習して(笑)。


ーー稽古期間はどのくらいあったんですか?


瀬戸山:稽古期間は5月から月に1、2回ぐらい集まって話だけして、稽古自体は8月始まってからぎゅっと集中してやりました。やあ、でも足りなかったかもしれない(笑)。


 

「帰ったら一回記憶喪失になって、もう一回台本と出会ったら面白そうだな」


ーー今後はどんな作品を?


瀬戸山:今後はミナモザとしては公演がしばらくないので、他の劇団に台本書いたりとか、地域の劇場で上演したりみたいのが続くんですけど。基本的には社会的なテーマみたいなものを重くならずにやりたいという。今回はなんかこういう台本だからこそ、逆に台本通りじゃないその通りじゃない表現をするおもしろさを他の国を見てすごく思ったので、ちょっと色々改めて考え直したいなと思って(笑)。台本を書く自分と演出する自分をもっと分けてみようと思って。今まではどうしても演出するところまで想定して書いてたんですけど。演出ってもうちょっと台本と距離感を持ってた方がいろんなことできるんだなって思ったので、帰ったら一回記憶喪失になって、もう一回台本と出会ったら面白そうだなと思いました。


ーー今後もいろんなところで公演されると思いますが、やはり関東中心でしょうか?今回は招かれて利賀村公演ということでしたけど、今後は関東、関西以外や日本以外での公演もあったり?


瀬戸山:日本以外でもやりたいですね。戯曲だけが他の国の人がやってくれたこともあるんですけど。ドイツとかで。だけど、自分たちではなかなか行けないので。今のところ東京以外で上演すると赤字になってしまって(笑)、うまくやる方法を考えないとなかなかできないなと思うんですけど。(富山だと)富山駅の方にもけっこういろいろやる場所ありますよね。知り合いの人がときどきやってるなっていう印象があって。安藤玉恵さんがこの前なんかやってたりとか。あとペニノが。


ーーオーバードホールですね。


瀬戸山:庭劇団ペニノの制作さんが制作に付いてくれてて。それで、富山いいなと。あれはタニノさんが地元っていうのがあるとは思うんですけど、もっといろんなところには行きたいです。私たちのところに制作の専属の人がいたらもっと本当に地域の公演を増やしたいなっていう気持ちはすごくあります。


ーー今後の予定として地域の劇場でとおっしゃってましたが、どちらですか?


瀬戸山:自分の劇団じゃなければ来年の5月に兵庫県のアイホールっていうところは西尾くん主演の芝居で行きます。オフィスコットーネプロデュースっていうプロデュース公演で。作と演出で。


ーー新しい作品ですか?


瀬戸山:それは再演で2年前にやった作品をもう一回やるんですけど。


ーーその戯曲でやってくださいというオファーで?


瀬戸山:そのプロデューサーさんがもう一回これはやりたいって言って。それがまあ決まっているその地方の公演ですね。3月ぐらいには、これは関東なんですけど、東京から意外と2時間ぐらいかかる東松山っていう地域があって、東松山戯曲賞っていう新しい戯曲賞ができるんですね。全国から応募受付けて。今日が締め切りですけど。それの受賞作を演出することになっていて。自分が審査員でもあるんですけど、どんな本が選ばれるっていうのがまだわかんないっていうのが来年の3月にあって、5月がそれ(アイホール)でって感じですね。



 

 明るい語り口でインタビューに応じてくださった気さくな瀬戸山さん。今年11月には初めて新国立劇場での公演が予定されており、今まさに注目の演劇人である。瀬戸山さんのオリジナル作品が北陸で見られる日も遠くはないかもしれない。

 

<瀬戸山美咲さんの今後の主な公演>


●オフィスコットーネ・プロデュース 改訂版『埒もなく汚れなく』 作・演出 東京公演 2019年5月9日(木)~19日(日) シアター711 関西公演 2019年5月24日(金)~5月27日(月) アイホール



●新国立劇場『あの出来事』(作:デイヴィッド・グレッグ 翻訳:谷岡健彦)演出 2019年11月13日(水)~26日(火)新国立劇場 小劇場




参考:ミナモザ サイト http://minamoza.com

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