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利賀演劇人コンクール2018レポート②覆面とヒップホップと窒息とー上演作品ダイジェスト


 一般の観客がほとんどいないということもあり、個人的な見方になるが、何か伝わればと書いてみる。利賀演劇人コンクール2018は、派手な衣装や舞台セットを使わない見た目にシンプルなものが多かったと思う。役者の発する言葉と身体の新しい関係に着目した演出など、三好十郎、シェイクスピア、三島由紀夫などの戯曲タイトル群からは想像がつかないような、若い演出家の自由な精神に出会えた1週間だった。

顔のないマクベス

 7月23日、1日目は利賀山房にて、京都を拠点に活動する豊島勇士(maz)演出の「マクベス」(作・シェイクスピア)からスタート。カラフルなストッキングをかぶったと言うと語弊があるが、4名の役者がみな、頭部をストレッチ素材の布で覆った覆面芝居。終始俳優の表情が排除された演出。配られた演出ノート(このコンクールでは、一作品につきA4用紙1枚の演出ノートが配布され、そこに出演者やスタッフの名前、演出家プロフィールが記載されている)のプロフィール欄に、「オブジェクト/フィジカルシアター」との記載がある通り、「もの」や身体表現が巧みに組み合わされていた。舞台セットのシーツが時に衣装になったり、人形になったり、指二本を動かして人に見立てるなど、視覚的に見飽きない作りのユニークな舞台は、海外の舞台を見ているような、子供が見ても楽しめそうな作品だった。音楽は、金管楽器だけの陽気なコーヒールンバが流れたかと思えばマリンバの楽曲や、ソプラノ歌手オペラのような楽曲など、雰囲気の異なる音楽が盛り込まれ、異国情緒やコミカルな雰囲気が醸し出されていた。

岩舞台がバスケットコートに

 同日2公演目は、蜂巣もも(グループ・野原)演出による「冒した者」(作・三好十郎)。トップバッターの豊島作品が18時、この蜂巣作品は20時からだったが、初日ということもあり、この公演には関係自治体の職員やSCOTの劇団員たちも詰め掛け、客席はにぎわっていた。野外にある岩舞台での公演は、天候もよく、見上げれば星も月も見える中での上演。舞台上にはバスケットコートが作り出されており、役者の登場シーンでは、上手側の観客席横にデコレーションされた軽トラックが突然現れ、そこから役者たちが降りてきて舞台に上がった。衣装は一見お揃いのえんじ色のジャージで、一人一人少しずつデザインが異なり、袖がなかったり、上着の丈が長かったりなどし、それらを各々が現代の若者らしい着こなしで身につけていた。実際にバスケのゲームをしながら芝居をするシーンや、誰かが会話をする後ろで別の人がバスケをしたりするシーンが何度かあり、途中からは英語のヒップホップ音楽が流れるなど、ストリートカルチャー色のある異色の三好十郎作品だった。戯曲の舞台は戦後の日本で、役者が発する言葉も今より古く固い日本語なので、バスケ、ヒップホップとの文化的、時代的なギャップ、そして、見る側がセリフよりもバスケに意識が行ったり、ドリブルの音がセリフの声量を上回ることもあるくらいだったが、そういったことも含めて実験精神あふれるワイルドな演出だと感じた。第16回AAF戯曲賞大賞を受賞し、演劇と音楽両方で活動している額田大志(ヌトミック、東京塩麹)によるシンプルでクールな音楽が冒頭とラストに使用されており、印象に残るものだった。

沖縄からの参加の劇団も

 7月25日、コンクール2日目は那覇市で「わが街の小劇場」という劇場を運営する福永武史による「弱法師」(作・三島由紀夫)。開演前には三線の音色が流れ、利賀山房の空間にマッチしており、穏やかな琉球音楽が会場を和ませていた。舞台セットは床に散りばめられた色とりどりのたくさんの折り紙のみ。俳優は激しくあちこちに動き回らず、照明も音響もシンプルな演出だったためか、言葉がしっかり伝わってきた。演出家自身が主人公の俊徳を演じ、スキンヘッドに上半身裸という出で立ちでゆっくりとした歩みで登場し、その舞踏家のような佇まいが最後まで存在感を放っていた。また、戯曲上おばさんの設定である桜間級子(城間夢乃)が、白いTシャツにデニムパンツ姿の若い清純派女優のような役者が演じていたことも特徴的だった。全体的にわかりやすく、奇を衒わないストレートな演出で、優秀演出家賞を受賞。

愛媛の医師らによる社会人劇団

 7月26日、3日目は本坊由華子(世界劇団)演出の「令嬢ジュリー」(作・ストリンドベリ)。世界劇団は、愛媛大学医学部演劇部出身の医師と医学生による劇団。沖縄チームに続き、富山ではなかなか見られない四国の劇団の作品は、今回のコンクールでは最少人数3名の役者で岩舞台にて上演された。令嬢であるジュリー(赤澤里瑛)と下男ジャン(廣本奏)という、階級の違う男女の関係が描かれた物語。登場人物にはない役どころとして、道化のような仮面の人物(本坊)が、キャラクターの心情を表現するかのごとく、突然出てきては語らずにダンスのような奇妙な動きをするのが不気味で印象的だった。ジャンと許嫁クリスティーン(本坊)の着ていた派手な柄の衣装や音楽に、どこの国とも特定されないような不思議な雰囲気があり、また、カラフルな照明や道化のような人物なども加わり、独特な世界観があった。観客賞2位受賞。

演技の生々しさの正体は

 7月27日、4日目は村社祐太朗(新聞家)演出による「屋上庭園」(作・岸田國士)。デパートで旧友同士が久しぶりに出会い、そこで繰り広げられる会話を中心とした物語。お互い妻と一緒にデパートを訪れていて、4人で屋上で話をしていたが、妻同士が二人で買い物に行く。そこから主人公と旧友とが近況を話し始めるが、二人の生活状況には格差があった。 低くて小さな背もたれの無い椅子、人二人が横並びに座れる程度の最低限の大きさのものが、斜めに平行線上に二つ並べられただけの舞台。戯曲が書かれた大正時代が舞台の物語のようだが、衣装は現代の若者が日常着ている洋服。大げさな演技はなく、ぼそぼそと、日常会話に近い音量でセリフを言う俳優たち。肩の力が抜けた感じの、演技というよりも、「ただそこにいる」という状態に近いものがあった。セリフの読み方に、ところどころ唐突に間があったりと、リアリティというよりも、妙に生々しかった。この戯曲の内容を知らずに見ていたが、あまり見たことのない演技の仕方だと感じ、最後まで一体これはどういう話で、この俳優たちは何を考えて演技をしているのだろうと、好奇心で見続けていた。その後の講評会での演出家本人の言葉や、演出ノートに「発語されて初めて意味と出会う」という部分などが、俳優の演技に感じた生々しさや演技に対する新鮮な印象と関連していたのではないだろうか。演出家の講評会での堂々とした話ぶりや内容から、演劇に対して新しいことを考え、実践しており、いい意味で尖った若手演出家だと感じた。奨励賞を受賞。

俳優の動きや呼吸に関する試み

 7月29日、最終日は京都が拠点の劇団速度主宰の野村眞人演出の「冒した者」(作・三好十郎)と、劇団820製作所主宰の波田野淳紘演出による「弱法師」(作・三島由紀夫)の2公演。野村演出は、利賀山房にて。舞台セットは下手奥の桃子(武内もも)が乗る台のみ。衣装も地味なトーンのそれぞれの俳優の普段着のようなもの。桃子役の女性は体格がよく、ショートカット、衣装は体よりも大きいサイズの黒いTシャツにズボンと、一見男性に見えなくもない外見。俳優の動きや、呼吸に重点を置いた演出。フルートを吹くという設定の桃子は、フルートは持たず、作中何度も風船をふくらませてはしぼめ、またふくらませたり、他の俳優も決められたであろうタイミングで息を吐いたり、窒息するかのように息を止めたり。また、役者がセリフを言いながら両手だけをコンテンポラリーダンスのように動かしたり、自らを軽く打ったりなどしていた。セリフを聞かずに、表情や俳優たちの身体的な表現だけでは、一体どの時代のどんな話なのか推測することはできないだろう。演出ノートに「(テキストを)発語や身体といったメディアにずらす」という表現があり、野村さんも村社さん同様、テキストと俳優の演技との関係において、新しいものを模索しているように感じた。このコンクールの場にいるとこういった演出に珍しさを感じることはないが、やはり例えば北陸でこういった演出を試みる者は稀だと思う。京都という土壌があるからこそ培われたものではなないだろうか。優秀演出家賞と観客賞1位を受賞。

ファンタスティックなミシマ

 波田野演出の「弱法師」は、岩舞台にて。舞台奥の階段や、舞台の至る所にLEDキャンドルが置かれ、キャンドルナイトのような幻想的で優しい空間が生み出され、1週間のコンクールのフィナーレを飾るようだった。舞台奥の階段には最上段の下手側端から、最下段両端に向かって階段の半分を覆うように大きな布がかかっていた。上演前にすでに役者は舞台上に。舞台奥に客席に背を向け赤い傘を持っている長身の俊徳(千葉恵佑)。舞台手前上手側に実夫(加藤好昭)、実母(城戸啓佑)、下手側には養父(澤崎ひろあき)養母(久堂秀明)。この4名はすべて男性が演じ、いづれも真っ白なタキシードやスカートなどの洋装に、顔も白ベースの道化のようなコミカルにも見えるメイク。中央に近い位置に、真紅のドレスを着た美しい調停委員の女性、級子(洞口加奈)。この演出では、両親は芝居中ユニークな表情を見せたり、感情表現を誇張するなど、演技も見た目同様に道化のようであった。舞台セットの雰囲気や音楽も手伝って、前半はファンタジー色があった。俊徳の登場シーンでは、ここまでずっと客席に背を向けていた俊徳が傘を閉じ、それを杖にして床を打ちながら、傘が床を打つ効果音とともにゆっくりと前に進んだ。 後半はどこかコミカルな2組の両親の登場シーンが終わり、桜間と俊徳だけのシーン。この二人はコミカルなメイクや演技上の演出がなく、いたってシリアスだった。この作品の中でポイントとなる夕焼けを見ながら二人が語ったり、俊徳が視力を失うこととなる戦火の経験を語るなどするシーンは、オーケストラの奏でる音楽とともに、美しくドラマチックに演出されていた。途中からは舞台後部にある階段の最上段から、2組の両親がキャンドルを持って再び登場し、亡霊のようにじっと立って俊徳と桜間を見下ろし続けていた。波田野作品を見たのは初めてだったが、岩舞台を使って自分の好きな世界観を存分に表現していたように感じた。

講評会、そしてコンクールの今後

講評会が行われる総合案内所の内部

 各公演の後に行われる審査員による講評は、合掌造りの建物内の一室で、審査員と演出家がテーブルを挟んで対話をする。その周りを上演関係者、他のコンクール参加者、観客が囲む。審査員からよかった点や、演出上の改善点をはじめ、劇作家がその時代にその作品を書いた背景についての話や、出場者が複数の課題戯曲からなぜそれを選んだのか、それぞれの演出家の演出意図で不明だった点などの質問があった。時には鋭い突っ込みに緊張感が走ることもあれば、審査員の中で最年長の俳優、蔦森皓祐(SCOT)の一言に笑いが生まれることもしばしば。周りで聞いていた者は、同じ若手演劇人として我が身のように感じていたのではないだろうか。

 

 演出を審査するコンクールではあったが、参加していた俳優やスタッフも含めて、今回の上演作品に関わった者たちが今後どこでどのような作品を世に送り出すのか、今回は既成戯曲だったが、オリジナル作品はどのようなものなのか、いつかまた彼らの作品と出会うことが演劇を見る上でのさらなる楽しみとなった。また、このコンクールは平田オリザのSNSでの投稿(公開されているもの)によると、今後はこまばアゴラ演出家コンクールと「将来的に、予選、本選といった形で連結を考えている」とあり、利賀演劇人コンクールは今後何らかの変容を遂げることになりそうだ。今年は愛媛と沖縄からの参加があったが、今後は、地元北陸をはじめ、どんな地方からの参加があるのだろうか。来年も楽しみなコンクールである。

●参考サイト

利賀演劇人コンクール http://togaconcour.tumblr.com

maz(豊島勇士) https://www.m-az.net

グループ・野原(蜂巣もも) https://www.hachisu-kikaku.com

わが街の小劇場(福永武史 ) https://hiraoka2yukio.wixsite.com/wagamachi

世界劇団(本坊由華子) http://worldtheater.main.jp

新聞家(村社祐太朗 ) http://sinbunka.com

劇団820製作所(波田野淳紘) http://820-haniwa.com

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