利賀演劇人コンクール出場者インタビュー第2弾は、パントマイムをベースに、オブジェクトシアターという「もの」を使った表現手法を組み合わせたユニークな「マクベス」の世界を作り出した演出家、豊島勇士さん。豊島さんが現在の表現手法に至った経緯、また、京都での稽古事情や小劇場減少のお話などお伺いすることができた。
● maz(マズ)
現代演劇の文脈の中で、マイムという身体表現の持つ可能性を探るため、いいむろなおき氏の下でマイムを学んだ豊島勇士と黒木夏海が中心となって立ち上げた団体。
mazサイト https://www.m-az.net
●今回お話を伺った方
豊島勇士さん
maz(オブジェクト・フィジカルシアター)主宰。京都大学文学部卒業。在学時より劇団に所属し、京都を拠点に主に小劇場の舞台に出演。卒業後、2014年よりいいむろなおき氏にマイムを師事。ニットキャップシアター37回公演「いねむり姫」、いいむろなおきカンパニー「butterfly effect」、カンパニーデラシネラ二本立て公演「椿姫・分身」等に出演。2015年にmazを立ち上げ、以降演出を手がける。
学生演劇、マイムとの出会い、そして自身の団体の立ち上げへ
ーー豊島さんは京都が拠点ということですが、ずっと京都で活動を?
豊島:大学から京都で。大学の時に演劇をしてて。その時の劇団はもう解散しちゃったんですけど。大学卒業して就職するタイミングで、※いいむろなおきさんのところでマイムの勉強を始めまして。
※いいむろなおき…マイム俳優・演出家・振付家。
ーーということは学生時代は主に俳優として?
豊島:そうですね。普通にしゃべるような。
ーー出演がメインだったんですね。
豊島:そうです。
ーーマイムの勉強を始める前からマイムはされてたんですか?それともいいむろなおきさんがきっかけで?
豊島:いいむろなおきさんの作品を見てですね。たぶん何がしかのそういう興味はあったとは思うんですけど。
ーーそこでマイムを中心に勉強されるようになったということですね。
豊島:そうですね。
ーープロフィールには2014年からいいむろさんに師事とありますが、その後は普通の(マイム中心ではない)お芝居に出たりされてないんでしょうか?
豊島:2014年以降は京都のニットキャップシアターっていう劇団とかにちょっと出演させていただいたりはしました。
ーー京都の劇団の公演に出演しながら、いいむろさんのところのマイムの舞台にも立って?
豊島:はい。いいむろなおきマイムカンパニーの本公演という意味でいうと1回か2回ぐらいですけど。
ーーそこから2015年にmazを立ち上げて、そこで演出を始めたのでしょうか?
豊島:そうですね。
ーー急に演出がしたくなった?
豊島:大学の時にやってた劇団というのが、ほとんど友人と一緒にやってた感じなんですけど。自分たちで立ち上げた劇団っていうのもあって、自分が中心になっていろいろ動いてるつもりだったんですけど、最終的に解散した後に、俳優だけやっててもあまりに何も残らないなと思ったというのがすごくあって。やっぱり何がしか自分で作らないとだめだよな、という風に思ったのもあって。
「よく通ったなと思うんですけど」ー実績の少ない中で利賀演劇人コンクールへ
ーープロフィール欄のmazのところに「オブジェクト/フィジカルシアター」とあるんですが、いいむろさんのとこでマイムをしたり、他劇団で俳優として活動したりしながら、オブジェクトを使った表現っていうのもその頃から始めたのですか?
豊島:たぶんそうですね。一番最初に国語の教科書にも出てくる「山月記」を書いた中島敦さんの「狐憑」っていう短編小説がありまして、それをセリフを使わずに舞台化するみたいなことをしました。舞台を現代に翻案して、みたいな雰囲気になったんですけども。結局それを1回こっきりやっただけで。その後は、結局仕事をしながらだったのもあってなかなか何回もそういうのができなかったので、仕事を辞めて今この利賀でやったのが作品の2つ目っていう形になりました。
ーーまだ2つ目なんですね。
豊島:そうなんです。まだ1個しかやってない状態で、よく通ったなと思うんですけど(笑)。一次審査が。
ーー実績がそんなにない中で、運よく通ったんですね。コンクールの応募時に演出プランというのを提出されたと思うんですけど、その時からオブジェクトを使ったものっていう計画で?
豊島:そうですね。
ーーオブジェクトを使った公演はそれほど経験がないけれど、それで挑戦したいっていう意欲がすごいあった?
豊島:マイムをやってく中で、このままじゃだめだ的な気持ちはやっぱりすごくありまして。(コンクール参加団体の)世界劇団さんの公演の中でも、最初にちょっとだけパントマイムを使ってやってるシーンがあったりしたんですけど。例えば厨房で料理を作ってるような。どうしてもパントマイムっていうと、ないものをさもあるようにそんとき見せたりとか、壁とか、あと鞄が止まって見えるとかあるんですが、それがどうしても大道芸的になっていっちゃうんです。もともとフランスで、※エティエンヌ・ドゥクルーって人がいたり、マルセル・マルソーがいたりみたいなことで始まった芸術なんですけど、日本だとなんかけっこう…どん詰まりに近いようなところに来てるイメージがあって。マイムという表現自体が。フランスの方だと、僕も最近知ったんですけど※ミモスっていう、フランスのマイムなどの演劇祭があるんですけど、いわゆるイメージしてるような、鞄が動かないとか何かそういうのじゃなくて、わりともっと人形劇だとかコンテンポラリーダンスだとか、すごくいろんな表現がごっちゃになってて。すごくなんかいろんな可能性があるようなものになってるんです。
※エティエンヌ・ドゥクルー…近代マイムの基礎を作った人物。
※ミモス…MIMOS。フランスで行われる国際的な舞台芸術祭。
マイムの新たな可能性を探ってー小野寺修二カンパニーデラシネラへの参加
ーーそれでご自身でもマイム以外の要素も加えたいと?
豊島:そうですね。なんだろう、もうちょっとマイムでできることっていろいろあるんじゃないの、みたいなことを思っていて。
ーー基本路線はマイムにあって、そこで新しい表現を模索していきたいというような?
豊島:マイムをもうちょっと拡張していきたいという気持ちがありまして、という感じですかね。
ーーそこから今回の舞台でマイム以外の要素も取り入れたんですね。
豊島:結局それが一つの演出プランとして消化できたかって言うと、ちょっと疑問は残るんですけど 。
ーーいろんな舞台を見て研究されたのでしょうか?
豊島:どうしても日本でだとそういうのは少ないというのがあって。海外から公演で来日されてる団体を見たりとか、あとやっぱりどうしても YouTube の動画を見たりとかというような感じになったりするんですけど。それらを参考にしつつ。あと、※小野寺修二さんがフィジカルシアターっていう言い方をしてるんですけど、小野寺さんのやってらっしゃる※カンパニーデラシネラに今年の3月に出演させていただきました。
※小野寺修二…演出家・振付家。マイムの動きをベースにした作品を作る。日本マイム研究所出身。パフォーマンスシアター水と油のメンバーとして活動していたことでも知られている。
※カンパニーデラシネラ…小野寺修二主宰のユニット。
ーー小野寺さんについてお聞かせいただけますか?
豊島:小野寺修二さんは、※読売演劇の(最優秀)スタッフ賞を取られたり、いろんなところで仕事されてて。それこそ宮城(聰)さんにお願いされて、静岡の静岡芸術劇場で※SPACの劇団員さんを使って作品を作るみたいなことされてたりとかするんですけど。その小野寺修二さんがされてることがコンテンポラリーダンスであったり、あるいは家具が動くみたいなものを使ったいわばオブジェクト的なことだったりっていう。その見せ方をとりつつ、小野寺修二さん自体は日本マイム研究所っていうところの出身で、ベースとしてはマイムにというのを置いてらっしゃる方で。カンパニーデラシネラでも大いに学ばせてもらいというような感じですね。
※読売演劇…読売演劇大賞。読売新聞社主催の、国内の演劇に与えられる賞。
※SPAC…静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)。
ーー小野寺さんの作品に参加後、mazでの演出2作目で今回のコンクールに参加されたんですね。今後もこの路線でしばらく模索を?
豊島:そうですね。
マイムをベースにした表現を、第一線で活躍する演出家の作品に参加しながら学びつつ、自ら新たな可能性を模索してきた豊島さん。インタビュー後半では、今後の活動予定や、拠点である京都で活動するということについてお伺いした。 mazインタビュー2/2
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